ジブリッシュの研修の中に、参加者全員で「悲しかったこと」を語るワークがあります。
私はその中で、10年以上前の出来事である、信頼していた人の自死と、慟哭の日々から今日までをジブリッシュで語り、皆に「傾聴」してもらいました。 ペアを組んだ Hさんという方に、目を見て、相づちを打ってもらったことで、じっくり向き合ってもらったような気持ちになり、心の深いところを遠慮なく吐き出し伝えられたように感じました。
涙が滝のように流れ、重く黒いかたまりがドバーッと出たように感じました。
言葉で語る以上に、感情を吐露できたのです。少しずつ、こころとからだをほぐすエクササイズをした後だったとはいえ、お互いに話している意味はわからないけれど、悲しみの感情だけを素直に吐き出し、その悲しみを真正面から真剣にうけとめてもらえたような気がしたのです。
時間にして5分程のことだったと記憶しています。
「傾聴(けいちょう)」という、ひたすらに相手の話に耳を傾け「聴き役」となる活動が、東日本大震災の被災地である、この宮城でもさかんになりました。
9年という歳月が流れていますが、ようやく語り始めることができた人もいます。
まだまだ語ることができない人もいます。 こころの復興には、思いを引き出す脇役、聴き手の存在がとても大切だと感じています。
ジブリッシュは、まだ多くの人に知られているものではありませんが、言葉にできないほど辛い経験をした人にとって、こころのケアの助けになる可能性があると感じています。